みーつけた!!いとしまの「Ms.おばあちゃん☆」 作/木島 克浩

 

堀田 文子さん(93)

糸島歴:生まれてこのかた

趣味:俳句

 

今回インタビューしたのは二丈深江に在住の堀田文子さんである。文子さんは大正八年生まれの御年九十三歳のおばあさんだ。しかし、老齢であることをおくびにも出さないほど達者な方で、一息で多くの話をする様子は私たちよりも元気ではないかと思わされるほどであった。深江生まれの深江育ちの深江っ子である。幼少の頃は山でツクシやツワを採取するために、徒歩で深江から肥前(現在でも車で最短2時間近くかかる)まで一日ほどで往復することが何度もあったそうだ。そのおかげでこの年でも足腰だけは丈夫だと文子さんは快活に笑っていた。他にも川では魚やエビ、海ではひじきやところてん草などを採取していた。遊びをかねる一方で、子供ながらに家計を助けていたと語ってくれた。今でも深江ではところてん草を家庭で加工する伝統が一部残っている。深江独自にところてん草を煮る行程を『ねる』といい、主に『いちにさん』で味付けして食べるという。この調味料は三杯酢のことであり、酢醤油砂糖の三つの調味料を混ぜることを語源とするらしい。

日本には祝祭をかねて祭りごとをする日、いわゆる『ハレの日』が昔からある。糸島でもその文化が色濃く、収穫後や種まきの前など農業の忙しくない時期に、氏神様を祀る境内で『オコモリ』と呼ばれる宴会が行われていたそうだ。昔はテレビなどの娯楽がなく、その宴会が唯一の楽しみであったと文子さんは昔を懐かしむ。また、そういった日には無声映画や演劇などが催された。さらに深江では江戸以前には大名が利用していた宿場町であったことが影響して三味線などの芸能が盛んであり、深江独特の『にわか師』という現代のどつき漫才にあたるものも催されていたと文子さんは嬉しそうに思い出す。今の深江にもハレの日にあたる神事があり、『神幸祭』と言われる。神幸祭は大名行列のようにして街道を練り歩き、五穀豊穣大漁を祈ってお払いをする行事である。その特徴は数歩進んでは下がるという独特の歩法にあるそうだ。二丈・深江の地域には似たような行事が多く、深江では神幸祭は毎年十月の第三日曜日に行われる。もう一つ現代に続く伝統行事は『川祭り』であり、海開きとともに厄除けを行う行事である。その特徴は男の子が中心になって仕切ることであったが、少子高齢化にともなって川祭りを仕切るのは男の子ではなくなり、今では大人が子供に指示をするというかたちで続いているらしい。

  現在、文子さんは「手を使う、頭を使う、金を使う」をモットーに深江での活動に勤しんでおり、ボランティアも精力的に活動している。素敵な年の取り方をして深い経験と知識を持ち、それらを持ち腐れさせることなく活動する、まだまだ元気なおばあさんでした。

 

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