糸島の歴史・ふれあいの旅


糸島に伝えられる「平家物語」とは。

原田種直によって建立された小松山極楽寺、今日の龍国寺。

 

いまNHKで放送されている大河ドラマ「平清盛」が話題になっていますが、ここ糸島と深く関わりがある事をご存知でしょうか。今年の1月〜3月に糸島市立伊都国歴史博物館で開催された「糸島 平家物語」には開館史上、最高の人出を記録したそうで、皆さんの興味がある事を示しています。

 平清盛の長男、重盛の娘婿の原田種直が建仁三年(一二○三年)に創建したのが今回取材をさせていただいた龍国寺です。平重盛は、清盛の第一子ですが、清盛よりも先に亡くなってしまい、鹿ケ谷事件(後白河法皇を中心とした謀反計画)の際、法皇の幽閉を決定し

た清盛を諌め止めさせた話で知られるとおり、清盛の横暴を抑えることができる唯一の人物だったことで知られています。源氏方に追われ、安徳天皇と共に西下した重盛の奥方と千姫、福姫、その一族は原田氏を頼り、糸島の地へ逃れ唐原の山中に隠れ住んだのですが

、源氏の追っ手によって殺害されました。鎌倉の土牢に十三年間の幽閉により許されて帰国した原田種直は、平重盛、奥方、千姫、福姫、平家一門の菩提を弔うため、平重盛を開基とし、法相宗の僧、徹慶智現玄大和尚を請じて開山し、小松山極楽寺を建立して今日まで大切にお祀りされています。八百年の長い歴史の中で、戦火であったのか何らかの出来事の為、寺宝や古文書記録も紛失したものも多く、開山大和尚から中興開山大和尚までの間、寺蹟不明の点も多くみられます。至徳元年(一三八四年)足利三代将軍義満は、その当時衰退していた寺を再興し、木造阿難尊者像(県重要文化財)と宣徳香炉を寄進し、曹洞宗僧侶、充祐大和尚、怡庵大和尚が住職したが法脈が伝わらず、室町幕府滅亡と共に寺も衰退し、以後戦国時代となり、糸島も戦乱の場となったのです。

 天正十一年(一五八二年)当時の領主原田了栄は戦乱の中で割腹して果てた四男原田親種のため寺を再々興し、遠祖原田種直の法名に因み、山号を萬歳山とし、寺号を親種の法名より龍國寺と改めました。

 江戸時代享保二年(一七一七年)奥平氏が豊前中津入城し、公領のうち二十九村が中津領となり、享保十七年(一七三二年)享保大飢饉では、十二世古瓶守口大和尚は、托鉢して米や銭を集め、約十ヶ月間延べ五千人もの人々に米や粥を施します。これを賞して藩

主奥平大膳大夫昌成公より寺領十石を拝領しました。以後幕末を経て今日まで住職、檀家の人々によって寺は護持されています。

 原田家は藤原純友の乱で活躍した大蔵春実の嫡流家として代々太宰少弐(太宰府の官人)の地位を世襲しており、種直は平氏政権下で日宋貿易の代行者ともなっています。また、重盛の養女を正室に迎えるなど、平家とは私的な主従関係にあり、平氏の都落ちの際には

岩門(那珂川町安徳台)の私邸を仮宮として安徳天皇を迎え、重盛の内室や二息女を唐原の地に匿ったとされています。壇ノ浦の戦いでの敗北と共に領地を没収され鎌倉幽閉後、筑前国怡土庄を所領。原田家の礎を築きました。背振の山あい、人里離れた唐原の地に「薬師堂」と呼ばれる小堂があります。奈良時代の渡来僧、清賀上人が建立した塔原寺の址といわれ、地名の由来ともなっています。ほとんどの堂宇は二度の火災によって失われ、今日では一堂を残すだけとなったのですが、応永五(一三九八年)には、太宰少弐貞頼より原田庄内の免田三町の寄進を受けるなど、平安時代末期から鎌倉時代にかけて勢力を誇った寺院であったと考えられます。唐原には平家落人の悲話が語り継がれています。九州太宰府に西下していた平氏一門は屋島での決戦へと向かいますが、平重盛の内室と千姫、福姫という二人の姫君が領主原田種直によって深山の地に匿われました。壇ノ浦での敗北後、姫君たちは源氏の追っ手に幼い命を絶たれ、悲しみのあまりに内室も自刃したといわれて

います。今日でも唐原の地には、姫君たちが恋しさのあまり都の方角を眺めていたという都見石や重盛の遺髪を祀った黒髪塚など多くの史跡が残っています。

 平重盛の内室が京を追われ、原田種直を頼り唐原に隠れ住んだ際に、持参してきた重盛の遺髪を黒髪山に埋めたと伝えられています。山中には石積みが残っており、この地下から掘り出したとされるのが石製の容器です。故原田大六氏によって復元されました。滑石を削って作られた重厚な容器で、側面に容器を包むように連弁が掘り出されているのが特徴で、大六氏はこの連弁が中国流泉窯青磁の模様の影響を受けたものと推測し、平安時代末期に九州で製作されたものと考えたようです。

 最後に龍国寺(龍国禅寺)では、さまざまな活動をされており、ひとつは「おとなの寺子屋」と称されるもので、お寺本来の地域とのつながりを持つ交流の場にしようという考えから始められたそうで、農業のかたわら全国の図書館づくりに奔走される才津原さんや第六回目の語り部で東京交響楽団に在籍された西依智子・久保田一穂ご夫妻など毎回異色な方が語り部をされています。伺った翌日は、本堂で「龍国寺音楽会」を開催されるということでした。さらに住職の奥様である甘蔗珠恵子さんは、二十四年前に書いた小冊子

が、福島の原発事故のあと注目を集め、全国から注文が相次いでいます。チェルノブイリの事故を受け、原発依存社会を問い直した五十八ページで、タイトルは「まだ、まにあうのなら」。「福島の事故を私たちの生き方の転換点にする。それ以外に、この社会の選択肢はあるのでしょうか」と、力強く語られています。

 

装いも新たに800余年の歴史をもつ。京都を思わせるすばらしい庭園。
装いも新たに800余年の歴史をもつ。京都を思わせるすばらしい庭園。

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